タドル

こんばんは、片桐タドルです。

「こんばんは」が正しくて、「こんばんわ」は正しくない日本語で、正しくない日本語が嫌いという意見があります。
僕は、そんなことはっきりいってどうでもいいです。
人の発言を「正しくない」と決め付けている時点で、そういう押し付けた態度が最も愚かしいと思います。
言葉の定義というのは、一定ではなくて、地域や時代、世代によって変化しているということは自明であるからです。

「食べれる」だろうが「食べられる」だろうが間違ってるとかなくて、「食べれる」でしか伝えられない感情はあるし、「食べられる」でしか伝えられない感情があるとです。

そんなわけで、こんばんは、片桐タドルです。

学校の課題で、来週の授業の資料集めをしています。
自分の生まれ育ってきた場所の記憶の原風景を写真やスケッチや文章で集めてほしいそうです。
僕はといえば、子供の頃遊んだ空き地や公園や緑が今、どうなっておるか、というのを中心に写真をとってきました。

とにかく僕は、今の街づくりというものが嫌いで、どこへいっても同じフランチャイズやチェーン店が並び、アスファルトで、地面をくまなくしきつめられ、緑は決められた量だけありゃいいだろう、とばかりに適当に分散させられておるわけです。
自転車や車で利用されている店の前は駐輪禁止で、駐車場もないし、探せば有料だし。

まぁ、そんなことを考えながら写真をとってきたわけですが、やはりこう、スキマというか空白の土地というものが減っていましたね。
保護者やら大人たちはきれいな公園とかそういう場所があれば満足で、安心なんだろうけれど、「ここが遊ぶ場所です」なんて決められた場所で遊ぶだけで満足するほど子供の想像力は限られてないわけで。
逆に、そういうとこだけで遊んで育った子供とか、なんかちょっと怖い。疑問を抱かない人間は、知らないうちに他人を傷つけます。
ええと、そういうことで、子供の選ぶ遊び場は、ちょっと人の手で整備し切れていない空白地帯、スキマ地帯になるわけです。
んで、秘密基地つくったり、探検したりして、与えられたものではなく、ただそこにあるものと自分たちだけで対峙して、いろいろ学ぶわけです。

灰色の街づくりの原因に、不況の影響は確実にあると感じました。
地主さんは、余裕がなくなって、土地を有効に運用させてすこしでも利益を得ようと、空き地や林をマンションや駐車場に変えたんでしょう。
大して儲からない駄菓子屋さんなんてもう無し。

こりゃぁ、今の子たちが遊ぶ場所は無いなぁ。
と思ったわけでして。
カードとかゲームとかTVとか、そういうのばかりの子供の遊びにウンザリしている人は多いと思うけれど、木の枝やかっこいいカタチの石が落ちてる場所が無いんだもん。
土がむきだしの場所がないんだもん。

ほんとうは、人間が侵食できていない場所の方が多いのに、こう、整えられた場所でしか生きていない子供の想像力は、将来ちゃんと機能するんだろうか、未知と対峙できるのだろうか。
未来のビジョンは描けるのだろうか。
「これは有害だから禁止。こういう生活は不安定だから避けてください。こっからここまでの範囲内で将来設計をして下さい」なんていやだよ。
苦しいときこそ余裕をもってなくちゃダメだね、やっぱり。

記憶をだどっていたらいつのまにか未来の心配をしていました。
オールOK